木を伝えるという情熱
最近、「情熱」について思うことが多い。
情熱を持って仕事をしていると、僕自身は思っているのだが
意外なほど情熱を持たずに仕事をしている人が多い…
いや、その言い方は正確ではない。
仕事を通して何を実現するか、というテーマに対して
木材業界の人はみな
「木や森、山を守る」とか、
「地球環境に貢献する」とか、
「木材という資源を使う」とか、
そういう「木」自体の持つ可能性になにか夢や希望を抱いている
……のだと考えていた。
が、意外なほどそうではない。
木に関わる企業の真実
利益を出すことは最低限企業に求められる物だと思うから、それはそれでいい。
だが、利益を全面に出さない企業であっても、「木」というもの自体に
なにかテーマを掲げている企業はほとんどない。
「木」そのものに言及して理念や夢を語っている組織がほとんどないことに気がついた。
少なくとも、僕自身は「木」というもの、素材、生き物、材料、商品、なんでもいいが、
木が持つ魅力に潜在的価値を感じ、この業界に飛び込んだ。
たぶん今木材に関わる仕事をしていて、自分で起業している人はそうなんじゃないか。
しかし木材業界について言えばそういう人はまれで、大多数は跡継ぎであったり
何十年も前からある企業を引き継いでいる人である。
僕がなぜこんなことを言うのかというと、ある尊敬する同業者の社長が絶賛したからだ。
先ほども言ったように、僕は「木」そのものの魅力を感じ業界に入った。
だから、木を生かすこと、木を使うことが、地域を良くし、文化を拡げ、環境をきれいにすることだと考えている。それが僕たちの生活も豊かにする。そんなに間違っていない話と思う。
ずいぶん簡単な言い方をしてしまったが、そこが木の魅力の本質だと思うし、
だからこそ木を使うべきだと思っている。
意外すぎる評価
ところが、そんなことを言っていると、その尊敬する社長は
「そんなこと、考えてもいなかった」
という。
「社員のため、お客様のため、地域のため、とは考えていたが、
まさか地球環境とか日本の林業の未来までは考えたことはなかった。すばらしい」
という評価を頂いたのだ。
僕にとっては「へ?」という感じである。
正直言うと、地域やお客さんのためだけなら別に木を扱う必要はない。
建築材料という視点で見れば、樹脂素材や金属、石油製品でも何でも良い。
建築という視点で見れば、設計でも施工でもいいし、
むしろ施工なんかやった方が、工場を持つより
直接的にお客さんや地域のためになるんじゃないか。
今、木の魅力に惹かれて木に近づいてきている人たちがたくさんいる。
もちろん木材業界の人ではなく、ごく一般的な生活者で、でも意識の非常に高い、
「住まい手」とか「使い手」とか言われる人たちのことである。
彼らが、いろんな夢や思いを抱いて、
実際に木に触り、山に入り、木材製品を作る製材工場に来る。
しかしその製材工場のトップは、多くが木を「商品」としか見ていない。
見ていないと言うより、「見られない」という言い方の方が正確だろう。
もはやそういう目になってしまっているのだ。
他の地場産業の現場でも、多くがそんな感じなんだろうか? よくわからない。
意外なほど、木を扱っている人間は、木の魅力に気がついていない。
木の可能性に気がついていない。
木の持つ能力に気がついていない。
だから僕は、もっと木の魅力を発信していかないといけない、と感じている。
木は、杉は、もっと評価されていい存在だと思っている。
杉のにおい、木目の美しさ、あたたかさ、質感。断熱性、消臭作用、湿度調整作用。
それだけではない。木を中心とした林産業全体が、私たちの空気をきれいにし、川の水を浄化し、海の幸を豊かにしている。
現代的な点では、他の素材の代わりに木を使うと、圧倒的にエネルギーが少なくて済む。作るのにも再利用するのも捨てるのも、木は非常に環境に優秀な素材である。
そして、木を何千年と使いこなしてきた、この国の歴史と伝統、文化。
これらは、ほんの数十年のうちに、あっという間に消えていった。
木の文化が消えていった
僕たちの日本の生活から、木の存在が消え失せていった。
木がいい悪い、という議論は実はあまり好きではない。
理屈を超えているからだ。
木を植え、木を育て、木と共に暮らしてきた僕たち日本人には、
木を愛し、木を誇り、木と生きることが、DNAに刻み込まれている。
「木の良さって何?」と聞かれることは仕事柄多いが、
木が生活から消え失せ、なじみのない存在になってしまったからである。
想像してみて欲しい。
ある日、コメが目の前からなくなり、50年後に再びコメが食卓に帰ってきたら、
「コメの良さって何?」と感じるのだろうか。
ある日、日本語が全て英語に取って代わり、50年後に日本語を残そうという運動が起きたとき、
「なんで難しい日本語なんか覚えなきゃなんないの?」と感じるのだろうか。
そういう次元の話だと思っている。
木の文化自体が、絶滅危惧種なのである。絶滅したら、二度と元には戻らない。
だから、木の可能性を広げ、伝え、後世に残すため、
僕たちは木を触り、木でモノを作り、木を発信するのである。